死を本当に意識しないとわからないこと

2年前、交通事故で死にかけた経験

そう、突然の出来事すぎて意味がわかりませんでした。
仕事帰りに信号無視の老人の運転する車に吹っ飛ばされたようです。
いまだに事故前後の記憶は全くありません。

救急車で運ばれて、骨も折れて、脳から出血もしていました。
でも、意識不明のままどういうわけか家に帰されています。
まず、その病院どうなの??って今思います。
実家から両親も駆けつけました。

そしてそんな事故にあった夜に、奥さんは陣痛が始まるという韓国ドラマみたいな展開
もう少しで、自分の子供に生まれ変わりなんて言われることだったでしょう。
それまで、死に対する意識なんて特にありませんでした。
むしろ、もういつ死んでもいいやくらいに思っていました。

それは違っていました。
全く自分の人生に満足することなく死んでしまうところでした。
病気とかではなく、突発的に死と向き合うこともなく消え去るところでした。

いざ向き合ってみると死にたくない・・

事故の三日後、陣痛3日間の後、待望の男の子が生まれた。
今となっては自分の生きる希望となっている。
間違いなく今いちばんの楽しみです。

生きててよかったって思う。
せめて自分の子供が成人するまでは生きてたいかなと思うようになりました笑
自分の命が自分だけのためではないというセリフが今ならなんとなく理解できる。

どんなに死を事前に受け入れていても、いざ死ぬ直前になると泣いているなんてドラマのシーンを数々みてきた気がします。
突発的な死は、正直防ぎようがないし仕方ないと思いますが、病気などについては健診や自分で受けることができます。
早期発見に至れば、治すことができるなんてことはよくあることです。
特に若い間は、ガンなどがあれば進行は早いです。

ガンでなくても、早期発見早期治療すれば大抵のことは防げるみたいです。

死を真剣に考える機会は意外と少ない

家族の死、友人の死など、そんなにあるものではありません。
自分に関係する人が、そういったことにならないとなかなか自分ごととして受け入れられません。
僕は中学の時に友人を失いました。

そいつの分も頑張って生きなくてはとその時思いました。
でも時がたてば、また薄れてきていることがわかります。

でも死にかけた時に思いました。
自分はまだ生きたいんだ、生に執着していることがわかりました。

健康に関しては自分でなんとか対策を立てられます。
交通事故にあって以降、こういう突発的なこと以外で死にたくないと思いました。

初めはスポーツが生きがいであった私にとって走れなくなったというのは足を失ったのも同然のことでした。
痺れはあるもののかろうじて右手、右足は動きます。
だから運転も可能。そこがせめてもの救いでしょう。

でもまだ少し体が動くようになってからも幾度となく運転していた時に前のトラックに突っ込んで死ねたら楽だろうかと思ったこともあります。
でも、今は子供もいるし、相手にも迷惑がかかるということから思いとどまっています。

今ブログを作成していてもいまだに、AやSのキーあたりは指ではなく肩から動かしている感じです。

最悪の事故にあって、幸せな瞬間を多く奪われました。

でもよっぽどの悪運で死ななかったのでしょうと思うようになりました。

死に対して、準備はなかなかできないけれど、いつ死んでも後悔はないという状態をいつも作り続けるということが重要なんじゃないかというところに行き着いたわけです。

人は皆、死ぬ時に多くの後悔と共に死んでいく

あの時こうしておけばよかったなんていうことはどんな死に方でも思うでしょう。
であれば、それをいかに少なくしようと思ったら、今のうちから色々実行しておく必要があります。

後悔ってその時やってなくてやらないまま残っているから後悔になるわけですので、
思い立ったらできるだけすぐ行動した方が良いです。
これが死ぬ時にどれだけ残ってるかです。

僕は死にかけたけど、死んでいないので猶予ができました。
これからどれだけのことを生きている間に実現できるか、自分でも楽しみです♪

 

 

 

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